障害者DJとは?片麻痺で活動するDJ IWASHIのリアルな軌跡
- 2026.03.20
- DJ
「障害者でもDJはできるのか?」
そう思われる方もいるかもしれません。
私は現在、片麻痺という障害を抱えながらも、DJとして音楽活動を続けています。
神戸・大阪を拠点に活動してきたDJ IWASHIです。
この記事では、「障害者DJ」という言葉の先にある現実と、私自身の歩みを時系列でお伝えします。
■ ディスコ全盛期、マハラジャでのDJキャリア

私のDJ人生は、1980年代のディスコ全盛期に始まりました。
神戸・大阪のディスコシーンの中心であった「マハラジャ」をはじめ、複数の現場でDJとして活動。
フロアの空気を読み、音と照明で空間を演出する――そんな時代の中で経験を積んできました。
音楽で人を動かす。
その感覚は、今も変わらず自分の核になっています。
■ 阪神・淡路大震災、そしてDJを離れた時期

1995年の阪神・淡路大震災を機に、私はDJの現場から離れることになります。
それまで続けてきたDJという仕事から一転し、
その後は建築設計や水道関連の仕事に従事するようになりました。
設計、申請業務、現場管理――
音楽とは全く異なる分野で、社会人としてのキャリアを積み重ねていきました。
一方で、DJを完全に辞めたわけではなく、
イベントなどで声がかかった際には、時折現場でDJを続けていました。
当時の詳しい経緯については、以下の記事にまとめています。
※当時の詳細な経緯はこちらの記事に記録しています
https://neoblacks.com/2023/07/31/post-11580/
音楽から離れたこの期間は決して空白ではなく、
社会の中で働き、責任を持ち、技術を身につけた重要な時間でした。
そしてこの経験があったからこそ、
後に再び音楽と向き合うとき、深みのある視点を持てるようになったと感じています。
■ 脳出血、そして片麻痺へ

その後、人生は再び大きく変わります。
脳出血を発症し、後遺症として片麻痺が残りました。
思うように身体が動かない現実。
これまで当たり前にできていたことが、できなくなる。
DJという存在から、再び距離ができた時期でもありました。
■ それでも、音楽を手放さなかった理由
それでも、音楽だけは手放せませんでした。
DJは単なる再生ではなく、
人と人をつなぎ、空間を作り、感情を動かすものです。
身体に制限があっても、
音楽で人とつながることはできる。
その想いが、再びDJと向き合うきっかけになりました。
■ 片麻痺でもできるDJスタイルへ
現在は、自宅スタジオを拠点にDJ活動を続けています。
機材の配置や操作方法を工夫し、
片麻痺の身体でも扱えるスタイルを構築してきました。
健常時と同じことはできなくても、
今の自分だからこそ表現できる音があります。
■ 現在の活動とこれから

現在は、神戸を拠点に継続的にDJ活動を行っています。
毎月第2土曜日には、三宮プラッツにて屋外DJイベントに参加。
地域に根ざした形で、音楽を通じたつながりを大切にしています。
さらに、2026年8月末には
神戸で開催される大規模イベントへの出演も予定されています(詳細は調整中)。
このイベントは、神戸を中心にディスコカルチャーを愛する人たちが集まるもので、
長年続いてきた神戸のディスコシーンを体感できるイベントでもあります。
現在の活動の中でも、大きな節目の一つになると感じています。
■ 障害者DJという言葉の先にあるもの
「障害者DJ」と聞くと、特別な存在のように思われるかもしれません。
しかし実際は、
音楽が好きで、DJを続けている一人の人間です。
障害があることは事実ですが、
それだけで語られるものではありません。
これまでの経験すべてが、
今の音に表れていると感じています。
■ 神戸から、もう一度音楽でつながる

かつてフロアで音を鳴らしていた時代とは形は変わりましたが、
音楽で人とつながるという本質は変わりません。
「もう一度、音でつながりたい」
その想いを胸に、
DJ IWASHIとしての活動を続けています。
■ 最後に
もしこの記事を読んで、
「障害があっても、何かを続けていい」
そう感じてもらえたなら嬉しいです。
音楽は、どんな状況でも人をつなぐ力があります。
そして私はこれからも、
その一人としてDJを続けていきます。
DJ IWASHI
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